チャットモンチーは青春なんかじゃなかった

絶対に「青春」だなんてことばで括ってやるものか、と思った。今までも、これからも。



チャットモンチーの完結を見てきた。私にとっては最悪の終わり方だった。完結。物語の終わり。
ふたりは、チャットモンチーは、あまりにもきれいな「めでたし、めでたし」を見せて光の中に消えていった。
彼女たちを包むように客席から湧き上がる。割れんばかりの拍手、終盤になって響く嗚咽、溢れんばかりの感謝のことばたち。全部があまりにも出来すぎていて、やけに居心地が悪かった。気持ち悪いとさえ思った。その中で私はひとり立ち尽くしてステージを睨んでいた。2階席南西側から、ひとりで。
客電が上がると洪水のようにいろんなことばが飛び交っていった。「たのしかった」「ありがとう」「見られてよかった」「うれしかった」「さみしい」「青春だった」…耳に入ってくる言葉はどれも耐えられなかった。なんでそんな泣きながら笑っていられるのだろうと思った。まるでフェス最終日が終わったあとのような充足感を表情に浮かべている人たちもいた。出口に向かっていく客の流れが前を通り過ぎる。私は私がいちばん言われたくないし、向けられたくない目線でその流れを見つめていた。


ねえあなたたちにとってそんな程度なの、チャットモンチーって。そんな簡単に飲み込めるの、今日のライブを、解散を。





13才、中学2年生のときにチャットモンチーと出会った。きっかけは日曜日の朝にBGM代わりにしていたケーブルテレビの音楽専門チャンネルだった。
一発目のギター音が耳に入った瞬間、すぐに手が止まった。BGMになっていたテレビに食いついた。あやしげな色味のミュージックビデオ、溢れてくる今まで聞いたことのない音楽。
直感的にすぐ思った「わたしすごいバンドを見つけたかもしれない」。

MVが終わってもなんとも言えない高揚感と、不思議な浮遊感は消えなかった。その気持ちのまますぐにパソコンでバンド名を調べて、曲名を調べた。『恋の煙』だった。



その日から12年経って、私はもう25歳になった。それでも昨日のことのように出会った瞬間を思い出せる。ここまで鮮明に出会いの日を覚えているのはチャットモンチーだけだった。もしかしたらこれからそういう経験をまたするのかもしれないけど、今のところは、チャットモンチーだけ。

私が出会ったのはちょうど『シャングリラ』リリースが迫っていた中での出会いだったから、運良くたくさんのチャットモンチーの姿をすぐにブラウン管越しで見ることが出来て、私が好きになるよりも前からのファンの人たちがたくさん情報を教えてくれた。“好きなアーティストがミュージックステーションに初登場する”経験をはじめて味わえた。その日の録画は毎日毎日、両親がシャングリラを口ずさめるぐらいに見ていた。
中学校の中でチャットモンチーを話せる相手はいなかった。けれどそれがどこか心地よかった。“私だけが知っているバンド“そういう特別感が嬉しかった。大切にしていた。

都内の女子高に進学したことで通学時間が長くなった。ウォークマンはその長い通学時間のお供になって、中学の時よりぐんとチャットモンチーは私の生活の中で生きていた。
行動範囲も広がり、はじめてタワーレコードに行った。そこでチャットモンチーが載っている雑誌やら冊子やらをたくさん手に入れた。当時密かに憧れていたタワレコに行けたのは、ぜんぶチャットモンチーが背を押してくれたからだった。

そして16才、高校2年のときにやっとチャットモンチーのライブに行くことができた。
はじめてのライブハウス。はじめてのZepp Tokyoチャットモンチーはまたはじめての経験をくれた。
それは2009年7月4日のことだった。



7月4日。9年後のこの日に、日本武道館チャットモンチーが最後のライブを行った。16才の私は25歳になった。

2009年の私は、授業を終えて制服のまま電車に乗り、初めてのチャットモンチー、初めてのライブハウスに緊張と楽しみを抱えて会場に向かっていた。
2018年の私は、仕事を早退して仕事用の服のまま電車に乗り、最後のチャットモンチーになんとも言えない感情を抱えて会場に向かっていた。

去年の11月にチャットモンチーが2018年に解散(あえて解散という言葉を使います)すると発表されて、“最後のワンマン”として発表された日付を見たとき、私は何が何でもこの場にいなければと思った。私ほどいなきゃいけない客なんていないんじゃないかって思った。チケットを取るために色んな人に協力をしてもらったことは初めてだった。こんなときまでチャットモンチーははじめての経験をくれるのか、と思った。なんだか笑ってしまった。



高校を卒業して、大学に進学してからもチャットモンチーは生活の中にいた。交友関係が広がって、チャットモンチーが好きだという人たちにも出会えた。大学1年のとき、憧れの先輩が『真夜中遊園地』を好きな曲として挙げているのを知って、カラオケで歌ったりした。「俺これ好きなんだよ」と笑って言ってくれたことに達成感とうれしさを噛みしめた。

楽しかった。ほんとうに。だからこそくみこんの脱退はうまく咀嚼しきれなかった。
くみこんが脱退して、チャットモンチーがふたりになって初めてのミュージックステーションを見た。あたらしいな、と思った。そしてゆっくりと違和感を覚えた。私の中でえっちゃんはギターであっこはベース。その立ち位置からずれていくふたりの姿に耐えきれなかった。だめだった。

その日からゆっくりとチャットモンチーは私の生活から離れていって、あれだけ聞いていた曲が聞けなくなってしまっていた。聞かない、んじゃなく、聞けなかった。怖かった。
テレビでチャットモンチーの曲が一節流れるだけでもすぐにチャンネルを変えて、録画していたものに出るようであれば早送りで見ないようにした。フェスに出ていたらそのステージには近寄らなかった。とにかく耳にチャットモンチーの音楽を入れたくなかった。
どうしてそこまでになったのかは正直今でも分からない。でも聞こうとするたび、10代のわたしが今の私を責める目で見るように感じていた。再生ボタンは押せなかった。

そんな状態はつい最近まで続いていた。たぶんチャットモンチーから解散すると言われなければずっと続いていたのだと思う。そんな状態の人間が最後のライブにだけは来るってなんなんだ、と一定数の人には思われるのだろうとも思う。おもうよ、私も逆の立場だったら思うんだろうな、ってぼんやりと。ずっと見てきたわけじゃないくせに最後の最後にって。でもね、でもチャットモンチーの最後の場に私はいるべき人間だった。本当に思ってる。


最後のミュージックステーションで6年ぶりぐらいにチャットモンチーを聞いた。見ることが、聞くことがほんとうに怖かった。けれど聞いた。わけもわからず泣いた。その日を境にやっとチャットモンチーを聞けるようになった。中学生、高校生、大学1、2年のときと同じように、生活の中にチャットモンチーがあった。やっぱり大好きだなって実感した。25歳になって聞く『染まるよ』はより味わい深かった。



そして2018年7月4日。
開演までこんなにもどうしたらいいかわからない気持ちを持ったのははじめてだった。ツイッターを見ても落ち着かず、ひとことふたことつぶやいても、途端に違和感が襲ってすぐに消した。「チャットモンチー」と検索してみたけれど、自分の気持ちに寄り添ってくれるような言葉は見つからなくて、すぐに閉じた。

持て余しながら、迎えた18時半。そこから5分ほど遅れて、客電が落ちた。息が詰まった。

光の中から出てくるふたりの姿、ほんとうにひさびさに見た生のチャットモンチー。音があふれて、えっちゃんの声が響いた瞬間、もうたまらなかった。ああ私の大好きなバンドだなあ、好きだなあ、って実感した。持ってきていた2009年ライブハウスツアーのときのタオルはすぐに活躍した。
最初のMCであっこが「なんかね、心境としては不思議なかんじ」と言っていて、自分の気持ちとおんなじ感覚でうれしかった。さみしい、とかたのしいとか、きちんと言葉にならない感覚だったから。えっちゃんもそうだった。
そんな不思議な感覚だからこそ、ラストライブではあるもののかなりフラットな感じでライブが進んだのかなと思う。アルバム出してたし、前半はほとんど新曲だからっていうのもあるんだろうけど、変に作られた空気のあるライブではなかった。なんだかあしたもあさってもチャットモンチーがいるんじゃないかなっていうぐらい、自然だった。
でもだからこそとくべつだったのかもしれない。やっぱり。いつもと違う不思議な気持ちだからフラットで、自然だからこそ特別だった。そう思ったのは『砂鉄』が演奏されたときだった。今のくみこんの言葉を今のチャットモンチーが演奏していること。驚くぐらい自然で特別だった。特別になってしまったんだな、とすこしだけ目を伏せたくなる気持ちにもなった。

前半が終わってふたりをステージごと包むような白いやわらかな幕が降りて、映し出されるいままでのチャットモンチーの歴史。2005年から、2018年まで。13年間。
あれを冷静に見られた人はどれだけいたのだろう。私はもう冷静になんて見られなかった。でも周りの人は(私から見たら)ふつうのような姿勢で見つめていて、なんだか私だけひとり異物のようだった。懐かしいな、なんて思うこともできなくて。前半に感じた不思議で、フラットで、自然で、特別なあの感覚が急速に殺されていくようだった。終わるのだ、チャットモンチーは。今日、ここで。

映像が消えて指揮を振る影が照らし出される。ストリングスの音とともに幕があがる。6人のストリングスとふたり。チャットモンチー・ストリングスだとえっちゃんあっこは言った。幕があがったステージはほとんど真っ白の空間で、えっちゃんあっこは白いドレスのようなレースをまとっていた。とても綺麗だった。死に装束のようだと思った。縁起でもないなんて言われるかな、でもそうにしか見えなかった。だって実際チャットモンチーは終わってしまう。完結。終わり。解散。いろんな言葉で言い換えられるけど、バンドがなくなるってことは死ぬことと同じでしょ、と、思う。大袈裟だなんて笑えたらよかったよね、笑えないんだよ。

時間が進むにつれて客席の熱量が上がっていたように思う。でも私はうまくそこに乗り切れなくて、映像を見てきたときに感じた異物感はより増していった。曲が終わるたびに「かっこいい」「すごい」とぽつぽつこぼされる他のファンの感想が煩わしかった。苦しかった。ひとつひとつをていねいに思い出にできている周りが理解できなかった。



完結に向かっていくチャットモンチーの流れは完璧だった。完璧すぎるぐらい。綺麗だった。私はその綺麗さが嫌だった。なんでそんな、まっすぐでいられるんだろう。ことばを紡ぐえっちゃんあっこは私が10代だったときと変わらないのに、どうしてそんなに背筋を伸ばして大人でいられるのだろう、と思った。





置いていかないでほしかった。いつだって当たり前に活動していて、私はその姿を見るたびに躊躇する。いつかまたチャットモンチーを聞ける日がくるのかな、きてほしいな、とひとり心の中で祈りながら、別のCDを聞く。フェスで聞きにいけるチャンスを作りながら、迷うというぜいたくな選択をする。ずっと、そういう風に考えながら、けどもいろんな感情をかみ砕きながら、また私とチャットモンチーが交差できる日を待っていたかった。


身勝手にも程があるよね。でもね、でも、そういう風に思っていたかったんだよ。ずっと。




「サラバ青春」と告げて、チャットモンチーは光の中に消えていった。
チャットモンチーの完結はとても綺麗だった。美しかった。美しかったからこそ私にとっては最悪だった。







言いたいことなんてたくさんあった。山ほどあった。聞きたい曲もまだまだあった、こんなきれいにいなくなんてならないでほしかった。置いていかないでほしかった。でももう、なにも伝えられない。