エモーショナル片手に踊りたい夜もある

生活をがんばるOLの備忘録

ひたすらに君を幸せにしたかった 僕が作り出す世界の中で

2月26日にサンシャイン・坂田さんの著書『この高鳴りを僕は青春と呼ぶ』の出版イベント「この高鳴りを今夜は全部話す」に行ってきました~~~~わーいわーい イベントからもう3ヶ月経ってますけどいまさらイベント感想です。でもほぼ自分語りである。



1年以上ぶりに降り立った下北沢駅はかなり様変わりしていて驚く。グーグルマップに映された出口がなくてまた驚く。私は…どこに向かえば…(どうにか着いた)
書店イベントだけれどもお酒を飲みながらトークを聞けるとのことだったのでうれしかった~素敵なお話にお酒はとてもよく似合う。イベント前に一杯飲み切っておかわりに向かってたの私ぐらいだった。ハハ


イベントはまず坂田さんがご挨拶されて、しずる村上さんとトーク、ロビンソンズ北澤さんとトーク、最後は3人揃ってトーク、という流れ。坂田さん登場時に緊張されながらもうれしそうにされてたのがとても印象的だった。そして私はこの日はじめて生の坂田さんを拝見したのであった。

自分の身と心を削って向き合って書かれた文章だから当たり前だとは思うけれど、ほんとうに、あの文章のような人だなと。文章が擬人化したら坂田さんになる、みたいな。いや筆者だからあたりまえですけど…あたりまえ体操…いらんことを書いた
まっすぐな目がとてもすてきだったなあ。


村上さん・北澤さんのトークを聞いて、お二人とも坂田さん自身に、坂田さんの文章に、すごく丁寧に向き合って言葉を紡いでらっしゃるんだなあと…あとやっぱり同じ「芸人」である立場からこぼされる感想がとても新鮮で、芸人ではないただのOLである自分では分からない共感だとか、引っかかるところ、うーん 引っかかるって表すとなんかニュアンスがちがうんだけども、なんて言えばいいのかな 思わず読んでるページの角に小さく折り目をつけたくなるような、そんな感じ。そういうところが自分とはまた違ってて すごくおもしろかったです。

どちらが仰ってたのか失念してしまったんですけれども…「本の中に出てくる女性たちがみんないい女」と仰ってて。ほんとうに そう そうなんですよ そうなんですよね……………とひとり心の中でうんうん頷いてた。(たぶんそもそも心根がすてきな女性なのだろうけど)坂田さんの文章で形成される女性たちってすごくいい女だなあって思ってた、し 思っている。そしてそういう風に文章で女性たちを形成できる坂田さんもまた「いい男」なのだと思う。物事や人への感性と目線の濁りのないまっすぐさは、生まれ持った天性なのだろうし葛藤とか苦しさとか泥臭さとか、そういったものもぜんぶ見つめてきたからなのだろうと思うんですね、私の中では。
このひとに見つめてもらって、このひとの文章の中で自分を形成してもらったらどんなことばが用いられるのかな、とひっそりおもっていた。好きな文章の中で自分が活字になれたらちょううれしくないですか?うれしいです。自問自答。坂田さんの文章を読むたび思う。


イベント終盤、単独で流したことのある彼女に振られた夜の大号泣カラオケ映像を見させていただいて。実はずっとこの映像を見るのが夢だったので私はちょううれしかったです… 人が泣いてる映像見るの夢だったってなんか字面にするとすごいけども
映像の中の坂田さんは、文章でつづられた通り(というかもうそれ以上)に涙と鼻水ですごくて、発される言葉は魂の叫びで。当時の苦しさとかがすごく伝わってきました。
でもおそらく人数ぴったりの部屋に通されたであろうカラオケルームで所狭しに動き回る芸人たち、高らかに歌われる星野源の『恋』、その隙間で響く坂田さんの泣き声嘆き、っていうかなしさとファンキーさのアンバランス具合がめちゃくちゃ ほんと めっちゃくちゃ おもしろかった。そしてこういう夜が人を救うんだよなあと思う。いい感じなのでは…?と思った相手に彼女(しぬほどかわいいし実際私もその子をかわいがっている)がいることを知った日に飲み屋で知らないお客さん20人以上いるなか泣きながらシャンパンを空けるような夜も救う。私のことなんですけど。

人は人で絶望するし人で救われるんだよね、夜の帳で寄り添ってくれるひとたちのあたたかさ。
しかも坂田さんはそれを自分の生業に活かしているのがまたドラマチックじゃないですか…救いが笑いになるって大正解、大正義だと思う。私はそういうお笑いもとても好きだなと思う。


イベント後にサイン会があって、めちゃくちゃ緊張したのだけれどどうにか伝えたいことを伝えることができました。ほんとによかった…
書いていただく名前を坂田さんに伝えると「いい名前ですね」と言ってくださって。(本名だからめちゃくちゃにうれしい)伝えたいことにはしっかりと頷き返してくれて、個人的な話にはやさしい言葉をかけていただいて。(坂田さんの脇で控えてた同期お二人もあたたかい反応してくださってなんという平和な世界…)めちゃくちゃうれしかったです。うれしい。


いただいたサイン。「いい女」も書いてもらえてほんとにいい女になれた気分。おまじない。


もともと私が坂田さんのブログを知ったのは、お笑い好きで知り合った友人のツイートで。彼女は「お笑い好きで文章読むのが好きな人は読んだほうがいい」、といった旨のツイートを添えて坂田さんのブログを紹介していたんですね。私は彼女の文章がとても好きだから、その子がそう言うなら読んでみようと思ってクリックしたのが今日に至るまでのはじまりでした。

開いた記事は2017年2月25日、「僕がしたかったのだ」という題の記事。
僕がしたかったのだ - それからはセロリのことばかり考えている - Yahoo!ブログ
ご本人と、かつての彼女の話の最初から最後まで、それから、が綴られていた記事は、むき出しだけれど思わず目を背けてしまうような痛々しさはなく、強くはないけれど芯があって。でも隅にひっそりと置かれたさみしさの名残が静かに横たわっていて、心臓の付け根をすこしだけ苦しませるような、そんな言葉たちで構成されていた。
私がツイッターで何度もサビのようにつぶやいている、

最後に彼女から連絡が来た時、僕は連絡を返せなかった。幸せになってな、という一言葉がどうしても言えなかった。僕は彼女に幸せになってほしいんじゃなくて、僕が幸せにしたかったんだ。僕が君を幸せにしたかったんだよな。

この文章。初めて読んだときのゆるやかな衝撃は今でも忘れられなくて、読むたびに 言葉をなぞるたびに苦しくなる し うらやましくなる。幸せにしたかったと言われるその人生と存在の価値。「価値」っていう言葉を用いるのはこの文章に対してあまり品が無いなと思うのだけれど、どうしても思い浮かんでしまうのは私のよくない思想・思考なんだろうな。よくないって思うけど、おもうんだけどね。

トークイベントの中で、坂田さんがこの彼女のことに触れ、「彼女が好きだと言っていたアメトーークに出ても彼女から連絡は来なかった。たぶんもうこないのだと思う」と言っていたとき、なんとなく私もそう思った。おふたりは交差しない人生なのかもしれないと、なんとなく。
ただ坂田さんご本人的にはどうなんだろうな、今後彼女と交差することを願ってらっしゃるのか、強い祈りではなくとも、縁がなにかしらの形で巡るのを心のどこかで思ったりするのかな、と。質問コーナーのときに伺おうにも言葉がうまくまとまらなかったので飲み込んでしまった。答えはあるのかな。



本当に良いイベントでした。来られて良かったなあとすごく思った。
2年前の冬と春の狭間の頃に坂田さんの記事に出会って、2年後にその本を買えて、冬と春の狭間に直接ご本人の口から話を聞けて、こちらの思いも伝えられる。感情に対して言葉が追いつかない経験はもどかしいけれど嬉しいことだと実感する。


帰りの小田急線の中でもらったサインを眺めながら、今日のことを思い返したときに これからの私にとって救いになるような夜だなと思った。心から。


この高鳴りを僕は青春と呼ぶ (ヨシモトブックス)

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