ロックスターと私(20160707)

 先日24歳になった女の子の誕生日をお祝いしてきて、自分が24だったときって何してたんだろう?と思い返すことがあり。
 24歳といえば6年前。2016年。THE YELLOW MONKEYが12年越しに再集結することが発表されて、その日からずっとロックスターに彩ってもらっていた1年だった。もう6年前なんだね〜〜〜〜月日が過ぎるのめちゃくちゃマッハ もう私はこの冬に30を迎えるよ

 そんなことを最近振り返っていたら、ちょうど6年前の七夕に書き留めていた日記を見つけまして なんとなくタイミングの良さを感じたので今あらためてインターネットの海に流しておきます。ただ私が自分の文章を読み直したいだけですが 自分が大好きなので ガハハ(山賊)
 気恥ずかしい表現をつかっていたりするな〜〜〜と思いつつ、当時の気持ちが込められていてなかなか良い文章なのではないかなと。

 2022年の七夕はいつもと変わらない日々、どちらかといえば冴えない日ではあったけれど どこか少し特別に思えるのはイエローモンキーのおかげでもあるよ。デビュー年に生まれた私なので、30という数字を一緒に素敵に迎えられるように、立ち止まりながらも歩んでいきたいと思います。
 2022年7月7日。6年を過ぎて今もこうしてバンドがあることに心から感謝を込めて(20220707)


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 12年前の今日、私のロックスターであるTHE YELLOW MONKEYが解散した。12年後の今日、私のロックスターはテレビのスターとして ステージのスターとして、今ここにいる。

 1月8日の再集結・再始動・復活が発表されてから、明日でちょうど半年を迎える。ほんとは明日これ投稿しようかとも思ったんですけども、やっぱり「7月7日」はなんとなく大事かなって思って、一日早くこれを書きました。うそですほんとは6月20日から書いてます。間に合うかわかんなさすぎて(あと推敲したい)3週間前から書いてます。それでも誤字脱字意味わからない文脈ありそう許してね

 私がTHE YELLOW MONKEY(以下イエモン)の再集結を知ったのは1月8日のお昼で、ご飯食べながら見ていたツイッターがきっかけでした。「THE YELLOW MONKEY再集結」の文字とともに、今現在のキービジュアルでもあるあの4人の姿。ライトの残光のようにメンバーにまとわりついている青色。本気で息が詰まって、身体が急に浮遊感を覚えたのを今でも覚えている。声を出したいけどほんとに出てこなかった。人ってびっくりするとこんなんなるのか…っておもってた すごかった
 震える指で公式アカウントをフォローして、公式ページを見てツアー詳細を見て、私がイエモンを聞くきっかけでもある父にLINEして、「ツアー絶対行こう」って送ったのが次の行動でした。ちなみに父はツイッターでも言ってるけどヒーセ氏と同い年です。ヒーセぱぱ(そうだけどそうじゃない)そして号外が各地それぞれ配られていると知って、仕事終わって即電車に駆け込みツイッターで状況を調べながら新宿に向かってました。もうあのときの必死さはすごかった。新宿の配布場所を検索で大体目星つけて、新宿付近に住んでる友人にその場所の最寄りの出口を聞いて。号外は無事に貰えました。

 手がすごい震えた。ひとまず写真を撮った。再集結は本当だと、そこで改めて実感してました。新宿の片隅で。新宿滞在時間わずか10分。
 家に帰って急いでファンクラブ入会して、号外を広げて感慨にふけってた一日だった。本当に濃い一日だった。

 徐々にメディアにも「THE YELLOW MONKEY」の文字が踊るようになって、戻ってきたのは本当なんだって、噛みしめる日々が続いてました。もう解散したバンドじゃないんだって、まだ姿は見れていないけど本当なんだと。ほんとうに、嬉しかった。

 私は今23歳で、今年24の年になる。92年生まれ、THE YELLOW MONKEYがメジャーデビューした年。約半月遅れだけどデビュー数えだと同い年になる。イエモンを知ったのも聞き始めたのもほとんど物心がついてない時からで、ようやく思い出せる3才くらいにはもう耳にしてたので具体的にいつから、が今でも言えない。
 父親の影響ではあるけど、父親が熱狂的なファンなわけでもない。ので、タイトルにロックスター(イエモン)と私とつけてるくせにルーツはしっかりしてなかったりする。けれど、土曜日にお昼を食べながら王様のブランチ内で放送されていたCDTV(今は深夜の時間帯だけになってしまってわりと寂しい)を見ていた記憶の中に、イエモンの存在は大きく覚えていて。ランクインで流れるとそわそわしていた記憶は残っている。私自身が彼らを「ロックスター」だと認識してずっとその名称で呼び始めたのはもう少し後のことだけれど、たぶん イエモンはなるべくして私の中でロックスターになっていたんだと思う。まだまだ産み落とされて間もない子どもの中でも、しっかり根付いていたのだろうと、思う。

 2004年7月7日、THE YELOW MONKEYが解散した日。この日をバンドの命日だと記している人がいて、なんて残酷で美しいんだろうと思った。命日。けれどねでもね、2016年7月7日を迎えてみて思うのは、2004年7月7日は命日ではなかった。死んでなんていなかった。静かに、息をひそめながら、姿は見えずともこのバンドは生きていたのだと思う。だからこそ、今を生きて 今ここにいるんだろうと思う。2004年の七夕に確かにTHE YELLOW MONKEYは消えてしまった。けれど、2013年7月7日にまた戻ってきてくれた。そして、2016年7月7日のいま、THE YELLOW MONKEYとして4人は日本の、大阪の、この夜の下にいる。吉井和哉菊地英昭廣瀬洋一菊地英二ではなくて THE YELLOW MONKEYのロビン・エマ・ヒーセ・アニーとして、七夕の日を迎えている。それが事実でそれがすべてだと思う。奇跡は現実だし、現実が奇跡。

 私のロックスターが素晴らしい夜を、七夕の日を迎えられるよう願っている。
あなたたちの、あなたの背中にあるのは決して十字架じゃなく、愛だってことにどうか気づいて、4人で顔を見合わせて恥ずかしそうにうれしそうに笑ってくれますように。月日を重ねた目尻の皺が、どうか笑顔で彩りますように。
 最高な世界をどうか一緒に見させて下さい。バラ色の日々がこれからもずっと、続いていきますように。おかえりなさい、ロックスター。

160707 //バラ色の日々(THE TELLOW MONKEY)